鳥海山大物忌神社拝殿
私が住んでいる山形県の遊佐町には、子どもから大人まで地域の人々が深く密接にかかわっている「鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)があります。この神社は鳥海山の山頂に御本社(ごほんしゃ)があり、主祭神は「大物忌神(おおものいみのかみ)」です。
吹浦(ふくら)と蕨岡(わらびおか)には「口之宮(くちのみや)」と言って、山頂までお参りに行けない人々のための里宮(さとみや)があります。「吹浦口之宮」境内の様子と、伝統的な行事としての例大祭「吹浦祭り」をとおして、地域の人々がどのように関わり、長い歴史と文化を継承しているかをご紹介いたします。
【目 次】
1. 鳥海山大物忌神社「吹浦口之宮」の徹底ガイド!
1-1 「吹浦口之宮」の様子
「吹浦口之宮」は遊佐町の北側にあります。
*住所
山形県飽海郡遊佐町吹浦字布倉1番地
(やまがたけんあくみぐんゆざまちふくらあざぬのくら1ばんち)
社務所 受付9:00~16:30
TEL 0234-77-2301
*御神徳
*五穀豊穣 *海上安全
*開運厄除 *家内安全
*見 学:無料
*駐車場:無料
車で来られる方は、「二の鳥居」の左わきから車を乗り入れることができ、無料で20~30台くらいは停められます。
もちろん社務所の前にも停めることができます。
それでは吹浦口之宮の「一の鳥居(いちのとりい)」と「社号標(しゃごうひょう)」からご案内いたします。まず最初に迎えてくれるのが、「一の鳥居」です。
一の鳥居の真ん中の扁額には「正一位(しょういちい)大物忌神社 鳥海山出羽國一宮(ちょうかいさん でわのくに いちのみや)」の文字が刻まれています。
「一の鳥居」の扁額
一宮とは・・・
ある地域の中で最も社格の高いとされる神社で、「一の宮」・「一之宮」などとも書く。(ウィキペディアより)
吹浦口之宮奴振り(やっこふり)衆の
半纏(はんてん)に「一宮」の文字
社号標には「國幣中社(こくへいちゅうしゃ)大物忌神社」と記されています。
この社号標は明治42年5月8日に建立(こんりゅう)されました。「一の鳥居」の次に見えるのが「二の鳥居(にのとりい)」です。
二の鳥居を入ってすぐに案内板があります。
御祭神は 大物忌神(おおものいみのかみ)「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・豊受姫神(とようけひめのかみ)と同神/月山神(つきやまのかみ)「月読命(つくよみのみこと)」
由緒 社伝によれば、第十二代景行天皇の御代当国に現れ、神社の創祀は第二十九代欽明天皇二十五年(五六四)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり、鎮祭が行われた。
本殿は山頂に鎮座し、麓(ふもと)に「口之宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡に鎮座する。(案内板より 以下省略)
二の鳥居の右手には「手水舎(てみずや)」もあります。ここで手や口をすすぎ、身を浄(きよ)めます。
なかなか凝っていて、風流ですてきな造りの手水舎ですね。
龍の口から水が出ています。
手水舎の右斜め前方には「社務所」があり、お守りやお札・御朱印などを購入することができます。(蕨岡口之宮に社務所はありますが常駐していないため、蕨岡口之宮の御朱印もこちらで購入できます。)御朱印をいただいてきましたが、1枚300円でした。
鳥海山の7合目にある「御浜(おはま)小屋」と山頂にある「御室(おむろ)小屋」の宿泊の予約も社務所で受けつけています。
吹浦口之宮の「御朱印」
蕨岡口之宮の「御朱印」
両方の御朱印を見比べたくて2枚いただきました。吹浦口之宮の御朱印は四角の中にシンプルに「鳥海山大物忌神社」と彫られているのに対し、蕨岡口之宮のものは八角形の中に、鳥海山や木の枝や葉や花が彫られているように見えます。中心の花の中に「大物忌神社」と彫られていて、とてもおしゃれです。
社務所を背にして右手の石段を上ると「下拝殿(げはいでん)」があります。
参拝者は、本殿よりも「下拝殿」でお参りをすることの方が多いです。下拝殿のとなりには、「本殿」に通じる石段があります。
百数十段くらいありますが、勾配が急で途中で息切れがしてしまうほどです。手すりにつかまって上ったり下りたりしないと危ないです。
石段を上りきると、「三の鳥居(さんのとりい)」があります。
そして、その正面には「拝殿」があります。
拝殿の中はシンプルで、本殿へと続く階段が見えます。
拝殿入り口の天井に「千社札(せんじゃふだ)」が貼ってありました。
千社札(せんじゃふだ)とは・・・
神社や仏閣に参拝を行った記念として貼る物で、自分の名前や住所を書き込んだ札のことである。愛好家では「せんしゃふだ」と発音する。(ウィキペディアより)
こちらは拝殿のわきから写した写真です。5月4日宵(よい)祭りの時には、手前の庭で吹浦田楽(ふくらでんがく)「花笠舞」が奉納(ほうのう)されます。
拝殿の上の方に「吹浦口之宮・本殿」と、「月山(つきやま)神社・本殿」が二つ並んでいます。
拝殿の左手に石段があります。
石段を上りきると、二つの本殿が見えました。
近づいて月山(つきやま)神社本殿を見てみました。
屋根のてっぺんの装飾
さらに近づいて、格子戸の隙間から二つの本殿をよく見てみました。手前に見えるのが月山(つきやま)神社本殿、後方が吹浦口之宮本殿です。
両本殿ともおなじ形と大きさで、朱色に塗られています。脇障子の板絵や蟇股(かえるまた)に色鮮やかに彫刻が施されています。
脇障子の板絵
蟇股(かえるまた)の装飾
月山神社本殿の左側には3つの神社があります。左端にある神社は白山姫(しらやまひめ)神社で、白山姫神(しらやまひめのかみ)が祀(まつ)られています。
右端は雷電(らいでん)神社で、大雷大神(おおいかづちおおかみ)と別雷大神(わけいかづちおおかみ)が祀(まつ)られています。
そして、真ん中には新しい神社が建てられていました。
比較的新しい神社なので不思議に思い、社務所でお話をうかがってみると、この神社は「風(ふう)神社」で、風神である志那津彦大神(しなつひこおおかみ)と志那津姫大神(しなつひめおおかみ)が祀(まつ)られています。長い石段の上り口の左手にも風神社がありましたが、そこから新しい風神社に御霊(みたま)を移したそうです。
長い石段の上り口左手の風神社
境内案内図
境内案内図とちょっとちがっていて、月山神社本殿のわきに白山姫神社・風神社・雷電神社が3つ並びました。
1-2 「吹浦口之宮」の宵(よい)祭り(5月4日)
吹浦口之宮において5/4宵祭り(よいまつり)が行われ、夕方から神池の真ん中の島(オノコロ島)の板張りの上で「諾冊二尊(だくさつにそん)の舞」が奉納されました。
「諾冊(だくさつ)」という言葉の意味がわからなかったので調べてみると、「諾(だく)」は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)で男神、そして「冊(さつ)」は伊邪那美命(いざなみのみこと)で女神のことでした。
宵祭りではオノコロ島に板が敷かれ、舞台へと変わります。
諾冊二尊の舞とは・・・
鳥甲(とりかぶと)をかぶり、青色の面をつけ、白衣に狩衣を着て、鉾(ほこ)を持ち、海を鉾でかきまぜて滴(したた)り落ちる滴(しずく)が固まって日本の国ができたという神代の故事を表す舞 (例大祭神事行事ご案内より)
立派な刺繍(ししゅう)の鳥甲(とりかぶと)です。
海を鉾(ほこ)でかきまぜているしぐさの舞です。
最初の舞では青いお面をつけていましたが、次の舞では黄色いお面に変わりました。扇子と手で、耕作(こうさく)や機織(はたおり)をしている様子を表現しています。
次は「大小の舞」の奉納です。
大小の舞とは・・・
男子二人が狩衣(かりぎぬ)を着て、日月をつけた立烏帽子(たてえぼし)をかぶり、扇を持って、笏拍子(しゃくびょうし)にあわせて、古歌「見渡せば、柳桜をこきまぜて都ぞ春の 錦なりける」(古今集・素性法師)を二回繰り返してから舞う田楽(でんがく)舞です。(例大祭神事行事ご案内より)
今日は日月をつけた立烏帽子(たてえぼし)をかぶっていましたが、狩衣(かりぎぬ)は着ていませんでした。
宵祭りのクライマックスは、吹浦田楽(でんがく)保存会の花笠(はながさ)舞の奉納です。
花笠舞とは・・・
吹浦田楽の代表的な舞で、旧社人(坊中)十六歳以上の長男八人で舞います。舞人は紋付き袴(もんつき・はかま)をはき、腰に太刀(たち)を帯き、白襷(しろたすき)をかけ、頭に三尺三寸の円輪《竹製・紙を張り、宵祭りは桜や山吹の生花、本祭りは真っ赤な造花をさし、周囲に八垂の紙垂(しで)》をかぶり、楽人の笛、太鼓の拍子に合わせて、時に優雅に、時に勇壮に舞います。五月四日の宵祭りの時は、本殿脇の広庭に、四方にもちの枝を立て注連縄(しめなわ)を張った斎庭(ゆにわ)で舞います。(例大祭神事行事ご案内より)
上記の「例大祭神事行事ご案内」には「旧社人(坊中)十六歳以上の長男八人で舞います。」と記されていますが、吹浦田楽保存会の方にお話をうかがったところ、現在では「旧社人(坊中)」や「長男」という制限はなくなって活動しているそうです。
田楽とは・・・
平安時代中期に成立した日本の伝統芸能。楽と躍(おど)りなどから成る。「田植えの前に豊作を祈る田遊びから発達した」「渡来のものである」などの説があり、その由来には未解明の部分が多い。(ウィキペディアより)
八重桜と山吹で飾られた八つの花笠が、出番を待っています。
八重桜と山吹の花がとてもきれいですね。
八人の舞人が、おごそかに登場です!
18:30からの奉納なので、あたりはもう薄暗くなっています。篝(かがり)火をたきながら、本殿前での花笠舞の奉納です。
花笠舞は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と無病息災(むびょうそくさい)を祈願する舞です。平成5年に山形県の重要無形民族文化財に指定されました。
宵の宮では、直径1mほどの花笠をかぶり、編木(ささら)を鳴らしながら舞います。
編木(ささら)とは・・・
竹や細い木などを束ねて作製される道具の一つ。108枚の木片と両端のグリップを、ひもで結びつけた形をしている。演奏はそれぞれのグリップを握り、アーチ状に保持した後、片手のスナップを効かせる。すると木片が隣の木片へと次々に衝撃を与え、このとき発する衝撃音で「シャ」という擦過音に近い打音が響く。(ウィキペディアより)
編木(ささら)は蛙(かえる)の鳴き声をあらわし、花笠の周囲に下がっている紙垂(しで)は雨をあらわしています。紙垂(しで)は稲作での水の大事さを表していて、笠の縁から垂らす本数は30本と決まっています。
吹浦地区の若者たちが、花笠舞をとおして「吹浦田楽」をずっと継承してくれています。
1-3 「吹浦口之宮」例大祭<吹浦祭り>(5月5日)
毎年5月5日は吹浦口之宮の例大祭になっており、鎌倉時代から続くと言われている通称「吹浦祭り」が行われました。
午前中は本殿で例大祭の神事が行われ、お昼からはおみこしが始まります。先頭は吹浦小学校5年生と6年生、そしてその保護者による樽みこし。吹浦小学校では5年生になるとおみこしデビューです。
我が家でももちろん、子供たちが小学生の時も中学生の時もみこしを担(かつ)ぎました。子どもたちだけでなく、保護者も一緒になっておなじ格好をして、みこしを担いで祭りを盛り上げるんですよ。
中学生になってもおみこしには参加するのですが、6年生は小学校最後の樽みこしを保護者とともに楽しんで担いでいます。
次は漁業関係者が、海の安全と大漁を祈って、船の形をした「船みこし」を担ぎます。
船みこしが巡行を終えて二の鳥居にもどって来たあとは、観客に向けて船の上からビニールにくるまれた魚(身欠きにしん)がまかれます。
続いては吹浦みこし会を中心に、県内外からのみこし会の協力をいただいて、にぎやかに練り歩く吹浦みこしです。とても威勢がよく、その掛け声にはみんな圧倒されます。みこしを担いでいる人たちの、祭りが好きな気持ちがすごくよく伝わって来ます。
次は「御神輿渡御行列(おみこしとぎょぎょうれつ)と言って、奴振り(やっこふり)を先頭に武者(むしゃ)行列や稚児(ちご)行列、中学生・高校生と社会人による本みこしが次々と続きます。
奴振り(やっこふり)
稚児(ちご)行列
本みこし
この本みこしに、神様の御分霊(ごぶんれい)が乗られています。
分霊(ぶんれい、わけみたま)とは・・・
神道の用語で、本社の祭神を他所で祀(まつ)る際、その神の神霊を分けたものを指す。(ウィキペディアより)
小さな子供たちも賽銭(さいせん)持ちをして、自分の役目を立派に果たしていました。
それぞれのみこしが大物忌神社にもどってきたあとは、御頭(おかしら)舞と巫女(みこ)舞の奉納です。
そして、最後には吹浦祭りの締めにふさわしい、吹浦田楽保存会による「花笠舞」の奉納です。昨日は山桜と山吹の花で飾られた花笠で登場しましたが、今日は色鮮やかな赤い造花の花笠をかぶり、二つの神社ののぼりの間から、華やかに登場です。
一度目は二の鳥居のわきで舞います。
そして最後には舞台の上での舞です。
直径1mほどの花笠をかぶり、昨日と同じように、編木(ささら)をならしながら舞います。勇壮に躍るその姿に、観客の目はくぎづけです。
この花笠は、大物忌神社から最も近い布倉(ぬのくら)地区の方々が中心になって、すべて手作業で作ってくださっています。真ん中に立っている緑の茎と、それを取り囲む赤い花が気になって調べてみたら、「弁慶(べんけい)」と呼ばれていて、別名はサワアザミでした。
サワアザミとは・・・
キク科アザミ属の多年草。(ウイキペディア)
舞い終わったあとには花笠が観客の方に投げ入れられます。縁起が良いと言われているこの赤い花を得ることができた人はとても幸運で、花笠の花は大事に持ち帰られます。
この吹浦祭りでは、子どもから大人まで自分がやるべきことをしっかり果たし、楽しみながら参加しているのがよくわかります。その気持ちがちゃんと伝わり、私たちまで楽しくなり、みんな笑顔で声援しています。
子どもたちはこの祭りをとおして、与えられた役目を果たすことによって「自分もこの地域の一員であり、役に立っているんだ」ということを学びます。この子どもたちが大きくなったらみこしを担(かつ)ぎ、次世代の花笠舞の舞人や渡御行列(とぎょぎょうれつ)を先導する奴振り(やっこふり)になる子もいるでしょう。
地域に根ざした吹浦祭りをとおして、改めて大物忌神社(大物忌神)に対して親しみと感謝の気持ちでいっぱいになりました。鎌倉時代から続いているという吹浦祭り、そして大物忌神を大事に思う気持ちは、これからも世代を超えて脈々と受け継がれていくことでしょう。
これからもきっと大物忌神は、私たちを見守っていてくださると思います。
日本海東北自動車道 酒田みなとICから車で25分
2. 鳥海山大物忌神社吹浦口之宮」まで心豊かにウォーキング!
2-1 吹浦駅~大物忌神社吹浦口之宮まで(所要時間 徒歩7分)
吹浦駅に車をおいて、大物忌神社吹浦口の宮までウォーキングしてみました。
吹浦駅を出ると右手に「加登屋(かどや)」というお店が見えますので、その丁字路を左折します。
左折してから、どこまでも直進します。
5分~6分くらい歩くと、むこうに鳥海山大物忌神社の「一の鳥居」が見えてきます。
迷うことなく「一の鳥居」まで来ました。
さらに1分ほど歩くと二の鳥居に到着です。
「二の鳥居」のわきにも、小さな社号標が立っていました。
二の鳥居の前のマンホールのふたにも目が留まり、よく見ると描かれているのは鳥海山とチョウカイフスマの花でした。チョウカイフスマは山形県を代表する花の一つで、鳥海山に生息し7~8月に花が咲きます。
遊佐町の「町の花」にも指定されていて、花弁は5枚で色は白です。町内のそれぞれの小中学校の校章には、このチョウカイフスマの花が図案化されて取り入れられているんですよ。
道端のきれいな花にも心がなごみ、豊かな気持ちになります。
今までは車でばかり来ていたので気づきませんでしたが、歩いて来てみることによって、今まで見落としていたところにも目を向けられます。そこがウォーキングの良さですね。
2-2 鳥海温泉「遊楽里(ゆらり)」~大物忌神社吹浦口之宮まで(所要時間17分)
鳥海温泉「遊楽里」に車をおいて、「鳥海山大物忌神社吹浦口之宮」までウォーキングしてみました。遊楽里の玄関を出て左折するとキャンプ場とコテージ村の道路に出ます。
右側のキャンプ場では、もうキャンプをしている人たちがいました。歩きながら、あちこち見て歩くのも楽しいものです。
その道をまっすぐ進んで、突き当たりの丁字路まで7分くらい歩きます。
この丁字路から右折して、鳥海山の方へ直進します。
ここから1分ほど歩くと、西浜橋があるので渡ります。大好きな鳥海山の方に向かって、ワクワクしながら歩きます。
西浜橋を渡り終えると十字路になっていますので、左手の歩道橋を渡って踏切へと進みます。
踏切を渡ると、突き当たりが丁字路になっているので、そこを左折します。
この道を直進すると一の鳥居が見えてきて、「鳥海山大物忌神社吹浦口之宮」に到着です。
吹浦口の宮と吹浦祭りにぜひ一度おいでください。
吹浦祭りの天狗さん